天野 治夫

取締役副社長

1975年、東京都杉並区出身。4人兄弟(兄姉兄)の末っ子として育つ。小児ぜんそくを患っていたため、幼稚園は半分ほどしか登園できず、自宅で本を読んだりアニメを観たりすることが多かった。

小学2年生の時に任天堂の初代ファミコンが発売され、近所の幼馴染の家に毎日のように通って初代マリオブラザーズをプレイさせてもらう。翌年父親がファミコンを買ってきてからは、兄たちと一緒に夢中になって遊ぶ。小学3年生の頃に幼馴染に誘われてそろばん教室に入り、中学生の頃には都大会で優勝した。

1994年早稲田大学に内部進学。「自由度が高い」と聞いた法学部で、会社法を専攻する。入学後しばらくして、「公認会計士試験の選択科目として民法が選べるようになり、法学部生も受験しやすくなった」と謳う会計士予備校のパンフレットを目にする。公認会計士ならそろばんの経験や法律の知識を活かせる上、「大企業に就職した兄姉たちとは違う道で、様々な企業を見ることができそう」と考えて受験を決意する。大学2年生の春から受験勉強に励むも、4年生で受けた論文試験は不合格。再挑戦のため自主的に1年間留年し、1999年に受けた論文試験は手応えがあり合格を確信するも、再び不合格だった。

公認会計士の受験勉強に区切りをつけ、いざ就活を始めようとしていた際、某経済誌のベンチャー企業特集でHENNGEの前身「ホライズン・デジタル・エンタープライズ」を見つける。あまりに長い社名と、同世代が会社を経営していることが印象に残り、「楽しそう」と応募。面接で会った小椋の頭の回転の速さや謙虚な姿勢にも惹かれ、1999年に経理担当者として新卒入社する。

入社数年後には世界経済の低迷の影響を受けるなどして会社の業績が低迷。2002年には倒産目前まで追い込まれるも、小椋ほかと資金調達に奔走するなどして立て直しを図った。同年に結婚した際は、義理の両親に「今をときめくITベンチャーの人」として紹介されるも、内心ひやひやしていた。

2012年には小椋ほかとプログラマ向けグローバルインターンシッププログラムを立ち上げ、会社が大きく变化するきっかけを作る。2017年頃からは上場準備に明け暮れ、2019年に東証マザーズ上場を成し遂げる。

2020年、会社創業メンバー以外では初となる取締役に就任。「Jazzyな組織風土がHENNGEの魅力」と考えており、取締役になったからといって意識はしないよう心掛ける。今後はさらに社内の多様性を高め、よりグローバルに事業活動を行う会社にしたいと構想している。

最近の大きな失敗は、趣味のフットサルで膝の靭帯断裂と半月板損傷の怪我をしたこと。現在はフットサルの代わりに筋トレにCHALLENGEし、身体的に日々HENNKAしている。最近おすすめのガジェットは、体のこりかたまったポイントをほぐす全身振動マシン「Power Plate® PULSE MINI+TM」。温室が大好きで、将来は温室や温室内のカフェを手掛けてみたいと夢見ている。