永留 義己

取締役副社長

1974年、大阪府堺市出身。小学4年生の時、自分でゲームを作れるパソコンの統一規格「MSX」を両親に買ってもらう。従兄弟から教わったプログラミングでゲームを作り、パソコンの利便性や可能性を肌で感じるも、結局は当時大ブームとなっていたファミコンで遊んでいた。

大阪の進学校・清風南海高校に入るも「勉強では一番になれない」と少林寺拳法部の活動に没頭。地区大会や府大会では毎回入賞、近畿大会では演武の部で準優勝し、主将も務めた。体育の成績は3年間オール5だった。

1994年、早稲田大学理工学部に入学。アセンブラ、Fortranといったプログラミング言語を通じてプログラミングの基礎を学ぶが、プログラミング自体には興味が持てなかった。大学2年生の夏休みには冒険心がくすぐられ、夢だったヨーロッパ1人旅を決行。6カ国を放浪したが一度も危険な目に遭わず、最終日はあえてフランスの治安の悪いエリアに行くも、何も起きず帰国する。自身の適当な英語でも通じると、自信を持つきっかけになる。

大学3年生からは授業でOSの一種「Unix」に触れるも、使いにくさに嫌気が差し、もっと分かりやすいインターフェイスにならないか思案する。この時の経験が、後に起業して販売するLinux管理製品の開発に結びつく。

3年生の時に大学の掲示板で、HENNGEの前身「ホライズン・デジタル・エンタープライズ」がパソコン家庭教師のバイトを募集するちらしを見つける。当時はパソコン技術を活かせるバイトは珍しかったため応募し、同世代の小椋たちがビジネスをしていることに衝撃を受ける。次第に運営に関わり始め、「コンピュータの知識があれば学生でもうまくいくのでは」と、1997年の株式会社化のタイミングで取締役副社長に就任。

入社後は、1年目で年間50件以上のLinuxシステム販売するなど、営業としての手腕を発揮。これまで世の中になかった製品を企業に使ってもらい、「便利になった」と目の前で言ってもらえることに喜びを感じる。マーケティング分野でも活躍したほか、2011年ごろからはクラウドセキュリティサービス「HDE One」(現・HENNGE One)の製品化に向けて奔走。会社のクラウドビジネスの成長に貢献する。

HENNGE製品は「使いづらく難しいテクノロジーを使いやすくする」との一貫したコンセプトがあるのが強みだと自負している。今後はスタートアップ企業との資本提携や新規事業にもCHALLENGEし、さらに会社を大きくしていきたいと考えている。

趣味は子どもと一緒に野球や水泳をすること。人生で一番の笑える失敗は、接待で販売代理店の担当者と一緒に日本酒を片っ端から飲んで1人だけ潰れ、小椋に会社まで連れて帰ってもらったこと(記憶はない)。